家庭教育支援向けコラム: 2014年4月アーカイブ

学校で教える国語は、9割9分「文字」の世界です。最近は聴き取りや発表といった授業の割合も増えてきてはいるようですが、それでも国語で学ぶのは「書きことば」であり、「話しことば」はほとんど学習しません。

 

 

しかし、同じことばでも「書きことば」(むずかしくいえば「文字言語」)と「話しことば」(むずかしくいえば「音声言語」)は大きく異なります。

 

 

たとえば、話しことばの典型である日常会話では、私たちは説明しなくてよいことはできるだけ省略(というよりそもそも言う必要がないのでそんな発想はしませんが)して話します。

 

 

トンカツを食べているとき、兄の方がソースの器に目をやって弟に)

「それ、とって!」、(弟はちらとソースの器に目を走らせて)

「自分でとれよ!」 、「遠いんだよ!」、「ちょっと腰浮かせたら届くだろ!」、

「おまえがちょっと前へおくったら届くんだよ!」、

「不精するからデブなんだよ!」、「なに!」(席を立つ。その拍子にテーブルの

上のソースの器がひっくり返る。それを見て父親が)、「何やってるんだ!

 

 

話しことばには「場」があります。だから、上の文の(  )の中はなくても、「  」の中だけでそこにいる人たちにはことばの意味が分かります。

 

しかし、もし「  」の中のことばだけを文字にして、作文を書いたとしたらどうで しょう。

 

「それ、とって!」「自分でとれよ!」「遠いんだよ!」「ちょっと腰浮かせたらたら

届くだろ!」・・・「何やってるんだ!」 この程度ならある程度状況は想像できる

かもしれませんが、誰がどのことばをしゃべったかは分かりません。

 

ここまで極端ではありませんが、国語が得意でない子どもの作文にはこのように

「場」の説明のない文章がしばしば出てきます。

 

その子自身は、その「場」を思い浮かべて書いていますから、それで読み手にも

伝わると思うのでしょう。反対に書きことばを読むと、「場」の説明が読みとれなく

て状況がつかめないということもあります。

 

 

太郎は新聞配達のアルバイトをしています。三月の早朝のことです。

 外はまだ暗く、春とはいえまだ風も冷たくて、太郎はときどき息を

はきかけては手を温めながら、あちらこちらの家へ新聞を配っていました。

 

 太郎は陸上部に入っています。それで陸上の練習になるからと、自転車に

乗らず自分の足で新聞を配っていました。

 

 すると、向こうの方からタッタッタという足音が聞こえてきました。

  足音はだんだん近づいてきて太郎の横を走りすぎました。

 

  「あっ! この音・・・・・・」と小さく太郎はつぶやきました。

  学校へ行くと、太郎と同じ陸上部の次郎が席にすわって本を読んでいます。

 

  太郎は次郎のそばに行って言いました。

  「次郎、おまえ朝早くから練習してたんだな。」

 

 

 仮にこんな文章があったとして、「太郎はなぜ走っていたのが次郎と分かったのです  か?」などという設問があったとき、「場」が読めない子どもの中には 「朝、出会ったから。」とか、「すれ違ったときに顔を見たから。」とか書く子がいます。

 

「外はまだ暗く」の部分や足音の描写は読み飛ばしているか、読んでもピンときません。書きことばの世界に慣れていない子どもは「場の描写」からその場の「情景」を思い浮かべることが苦手です。

 

あるいはこういう子もいます。話しことばの世界は、必要な骨組みのことばのやりとりで済みます。ところが、書きことばの世界は、骨組みにいろいろと肉付けがされています。これに慣れていない子どもは、この肉付けと骨組みの違いが分からないのです。

 

 

 いずれにせよ、日常会話ではよくことばの内容が理解できる子どもが、文章を読んでも内容が分からないとなると、国語という教科の理解は難しくなります。

 そう聞くと、お母様方は、早くから文字を教えたり、文章を読ませたりして、書きことばの世界になじませたいとお考えになるかもしれません。

 

 

 

しかし、私はあまり急がない方がよいという意見です。

 

 

 

そもそも文章を読むというのは、それほど簡単なことではありません。私たち大人はある程度書きことばに慣れていますから、文字さえ読めればある程度文章は理解できると考えがちです。

 

しかし、話しことばに比べて書きことばは非常に情報量が少ないのです。話しことばでは、さきほど述べたようにそもそもことばが発せられる前提として「場」がありますから、状況によってある程度内容の見当がつきます。

 

それに加えて、ことばとことばの間や、音の高低、抑揚、表情、身振り手振りなど内容を伝えるためにさまざまな補足ができます。

 

低学年の子どもだと「おまえのこのテストの点数にはお母さん心底落胆した。」などということばは分からないでしょうが、母親ががっかりした表情をしていたら、言いたいことはだいたい分かります。

 

ところが、書きことばでは、文字以外の一切の情報はありません。文章を読むということは文字だけの情報から内容を理解する高度な作業なのだということを私たち大人は再認識しておく必要があるでしょう。

 

 

 

だから、まずご家庭ですべきことは、話しことばの世界からだんだんと書きことばの世界に子どもをいざなっていくことだと私は考えます。

 

 

 

この段階をとばして文字を教えようとした場合、うまく書きことばの世界になじむ子どももいるかもしれませんが、かえって混乱してしまう子どももいると思いますし、仮に表面上は順調に文字を身につけたようでも、それは音と文字が一致しているだけで、意味のあることばとして、さらにはある内容を表す文として理解しないまま文字だけを先行して身につけてしまうこともあるだろうと思います。

 

そうして身につけた書きことばは、本当に物を考え、理解するためのことばとはなり得ないだろうと私は考えています。

 

 

 まずは、身のまわりの物や自然の風物や行動などを通して、耳からことばを伝えていきましょう。

 

本で見る文字よりも、実際の体験の中で得たことばはより着実に子どもの心に刻みこまれていくでしょう。

 

「りんご」というカードでおぼえることばは、りんごの絵と「り・ん・ご」という文字だけですが、実物を食べておぼえることばは、色や形とともに味とにおい、さらにはそれを食べたときの幸せな気分も一体となって身につくことばです。

 

就学前は、「りんご」が書けなくても、「りんご」の音から色や形、味やにおい、それを食べた時の場面が頭に思い浮かべられればそれで充分です。

 

次はお話がよいでしょう。お話は耳から伝わるものではあっても、ことば自体は大部分書きことばです。「むか~し、むか~し、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。」なんて  日常会話はありません。

 

 

別に本にあるお話でなくても、お母さんやお父さん自身の体験談でもかまいません。それも「場」の説明なしにはうまく伝えることは出来ませんから、子どもはお話を聴きながら「場」を思い浮かべる訓練をしていくことになります。

 

 

 

 次は読み聞かせです。これはもう完全に書きことばの世界です。

 

 

読み聞かせによって書きことばの世界になじんでおけば、自分で文字を読むようになっても理解しやすいだろうと思います。

 

 

最初は「場」の理解を補う絵のある絵本などの読み聞かせがよいかもしれません。ただ杓子定規に、お話→絵本→絵のない本とすすむ必要はなくて、時と場合に応じてこれらに触れていけるようにすれば、書きことばへのハードルを低くしていくことができると思います。

 

念のため、テレビは書きことばの世界ではなくて大部分話しことばの世界です。

 

映像が「場」を説明してくれていますから。中には『まんが日本むかし話』のように映像を見せながら朗読をして「場」をことばで伝えているものもありますが、アニメ番組などでもこのパターンは少なくて、ほとんどはことばではなくて映像が主です。

 

 

 今述べたようなことは、就学前(小学校にあがる前)の子どもたちには特に必要な段階かと思いますが、「うちの子はもう小学校高学年だから、読み聞かせしようにも聴こうとしない」というご家庭もあるかと思います。

 

たしかに年齢があがればあがるほど機会は減ってくると思いますが、それでもお母さんやお父さんが新聞を読むときに意識的に声を出して読むとか、その日の出来事や昔の体験談を話すとかすれば、少しでも書きことばに近い形で、子どもの耳からことばを入れていくことが可能です。

 

小さなお子さんや国語の苦手なお子さんには、まずは書きことばのハードルを低くすることを考えられてはいかがでしょうか。

 国語塾いはら教室主宰 井原 幸彦

  

 【公式】国語塾いはら教室ウェブサイト

 

 

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